なりそこないのブログ

整理することで解決することがあるかも?ミニマリストのなりそこないです

共同生活は公平さが大事。暇そうにしてるから「家事の分担」を要求される。

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夫婦生活の中で出てくるワードが今回のテーマ

このワードがうまくいっている家と言うのはどういう家なのだろうか?

小学校の時に教室の前に貼ってある

円形の紙でクルクル回して係りを表示するヤツ!といえば

どれくらいの人が「あー!あれあれ!」と思い出してくれるだろうか?


今回のテーマは

 

家事の分担

 


夫婦にも家庭のよって色んな形態がある。

・子供がいない夫婦
・小さい子供がいる夫婦
・妊娠中の奥さんがいる夫婦
・共働き
・専業主婦
・主夫をしている旦那さん
・どちらかの親御さんと住んでいる夫婦

「家事を分担してほしい」とつぶやく人は

当たり前だけど、「家事をしている人」

一日の家事が負担に思うから手伝ってほしい。

だから「家事を分担しよう」と提案する。

チョットしたことでいいから手伝ってほしい!と言う意味の人もいれば

こんなに大変な事を毎日してるんだよ?解ってほしい。と言う意味の人もいる


我が家の話。僕は家事と言う家事を殆どしない。

僕と妻は共働きである。

仕事が終われば寝る間では子供の世話だったり遊び相手は僕がなる。

子供の面倒は見るけど家事は全くしないというパターンである。

妻からは「家事の分担をしよう」と言われたことはない。

おそらく僕に家事に対しては期待していないのだろう。

かといって、すごく家事に追われているかと言えばそうは見えない。

やる事は終わらせて、20時にはみんなで床に着ける。

母さんが夜なべをしてなんて事はない。


こんな家庭で生活をしているので、僕にとって「家事の分担」ってなんだろう?

そう思ってしまうのだ。

「家事の分担」をしたい人は何を分担したいのだろう?と思う。

僕の場合は子供の世話だったりはしている。

「子供の面倒か、家事かどちらかやってよ!」と言うのは解る。

子供の面倒をみて家事をするのは大変だと思う。

でも

「家事の分担」ってなんだ?不思議だ

そんなに家事ってやることあるの?

先ほど言った「家事の大変さを分かち合いたい」

という理由ならなんか「わがまま」に聞こえてしまう。

大変さって分かち合わないとダメなのか?

各々仕事でも大変な思いをしている。

それらも分かち合わないとダメなのか?

なんか「家事の分担」という言葉に段々違和感を覚えてくる


少し考え方を変えてみよう

一人暮らしの人はもちろん「家事の分担」何てセリフを発しない。

なぜなら一人しかいないからだ。

家事をする人間が自分しかいない。

そう思うと、おそらく「家事の分担」を要求する人は

同じ生活スペースに暇そうにしている人がいるから、この人にも

自分と同じ作業をさせたい!そう思っている人もいるのではないだろうか?

さらに例えばだが、家事作業を5:5に分けてみたとする。

片方は作業が早く早々に家事を終わらせて、自分の好きな事をする

もう片方は要領が悪く、同じ作業なのに、1時間ほど余分に作業をすることに。

こうなった場合、家事内容は5:5なのに、時間的には一時間ほど差が出てくる。

この状況でさらに「家事の分担をしよう」と、本当に言わないだろうか?


要するに、自分が何かしているのに、家族が暇そうにしてるのが気に食わない人が

「家事を分担しよう」と言う人もいるのではないか?

すごく簡単な家事でも、片方が暇にしてるのがどうしても許せない

だからどんな簡単な家事でも分担させようとする。

共同生活が生み出す不公平さがこの「家事を分担しよう」というルールを生み出すのだと思う。


先ほど我が家の話をしたが、

僕は家事をしないけど、家に帰れば子供の面倒などで自分の時間はほとんどない

「暇」そうにしてないのだ。

だから家事をまったくしなくても、「家事の分担」を要求されない


共同生活は公平じゃないとダメなのだ。

家事に限らず、片方が忙しく、片方が暇にしていると

人は嫌悪感、疑心感を抱くのだ。

だから「家事の分担」を要求された場合は

暇そうにしている自分を見つめ直してみるのもいいかもしれない。

家事を分担しないでも、子供の世話だったり、壊れた物を修理したり、

自分が得意な物で公平感が出ればそれはそれでお互いにイイと思う。

 


とりあえずここまで!


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