「ミニマリストのなりそこない」がちょうどいい!

私、デスパパがミニマリスト、子育て、ダイエット、節約について書いてるブログ。

死ぬ間際のセリフを用意する。このセリフは自分が死んだ後、言い伝えになる大事なセリフだ。

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ミニマリストだからなのか?

人生の終わりを見据える時がある。

自分が死んだ時お葬式どうするのか?

手続きなどはちゃんと残った家族がしてくれるのか?

遺言などはどうするのか?これはこのブログを自分の

遺言、自分の教えを残しておくために始めたもの。

終活として物を減らす事もミニマルな生活と共有する。

こうやって自分の終わりを考えている。

そこでひとつ思った事。

 

今回のテーマ

 


死ぬ間際のセリフ

 


イメージとしては、病室で家族みんなに見守られて

自分が一言何か言った後、

ガクッ!と死にたい。

こんな死に方理想だと思う。


時たま思うのが、現代冬のお風呂でのヒートショックで

命を落とす人も多い。

「死ぬ時はせめて服を着て死にたいな」など思う事もある。

あとは、猫のように死に様を見せないように

自分の死期が解ったら家族から離れて一人で死のうかな?とか

そうするといつまでも僕は死んだかに思えないでいるから

家族の心の負担は少ないのではないか?とこれは家族に止められた。


話を戻そう。

死ぬ間際のセリフだ。

人生最後の大芝居、芝居ではないが、

このセリフで家族の心が救われるかどうかがかかってくる。


「もっと生きたかった」

と言ってしまえば家族は「可愛そう」と思うのか?

「もっと生きたかった・・」という年齢にもよる。

100歳超えて「もっと生きたかった」とつぶやいたら

「もう十分でしょ!」とツッコまれそうだ。

でもこれもある種後々笑い話になればいいのかもしれない。

無難なのが「ありがとう」と死んでいくのがいいのかもしれない


自分の人生に携わった人にオールオーケーの言葉になる。

おじいちゃん、ありがとうって死んでいったね~よかったよかった。

そうなる。


「お前だけは絶対に許せない!!」って死ねば

言われた人は自分が死ぬまで一生のそのセリフが心に残るだろう。

本当に嫌いな人が死ぬ間際に近くに居たら言ってやってもいい。

それくらい嫌いならそれくらい言ってもバチは当たらない、どうせ死ぬし。


「いってきます」なんてのもいいかもしれない。

あっちの世界があるのかどうかわからないが、

「あっちの世界へ行ってきます。みんなまたあとでね」

という感覚になれば、

残された人も寂しくないし、

自分自身もあっちの世界にはおじちゃんおばあちゃんと

先に死んでいった人達がいると思えばまた心も救われる。

 

ひと笑い掴んで死ぬのもいいかもしれない。

悲しいお別れが苦手な人は何か面白い一言を

決めて置いてもいいかもしれない

辞世の句じゃないが、残された人の気持ちは和らぐ。


僕はこのブログを家族には教えていないので、

先ほど遺言だと言ったが、まだ遺言としての機能をなしてない。

僕は「デスパパ」という名前で活動している。

だから死ぬ前に


「デスパパで検索」と言って死のうかなと思っている。

あとはもう意味もなく、「ドカーーン!」という

爆発音で死んでみようかななど。


死ぬ間際というのは実際にどういう状況になるのか解らない。

こんな冗談を言える状態で死ねるのは本当に幸せだろう。


こんな状況で死ぬのは幸せなこと。

幸せはみんなに、特に残された家族には分け与えたい。


自分がこの様に家族に見守られて、一言言える状況で死を迎えられる事を

希望して、さいごの自分の最後の名台詞を考え置くのもいいかもしれない

 

とりあえずここまで!


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